お笑いライブ「目つきがあやしすぎる」
アブー

| 上演日程 | 2026年01月16日 |
|---|---|
| 会 場 | シアターZOO |
| 主 催 | アブー |
この公演について
北海道大学落語研究会所属の、現役北大生コンビ「アブー」が、初の単独ライブを開催!
おとぼけ担当の「平山ボイルドビーンズ」と、ニューコメディアン「りんちゃん」が織りなす、
あふれる多幸感・非日常のお笑いに、人気がジャブジャブ集まっています。
無料カンパ制なので、お笑いに興味がある人はどなたでも是非、お気軽に!
伝説の第一歩目を、見逃すな!
演出家からのメッセージ
「りんちゃんのねじろ」より、全文掲載(『発光論について』)
発光論とは、私が自分の脳みその中で言葉を使うときに、しばしば出てくる、私が作り上げた理論です。
こんな風な形で発信するつもりはなかったのですが、私がこれを伝えたい人皆に、横まで歩いて行って伝えることは、私のシャイや、地理のために叶え放題というわけでもないので、ここに書こうと思います。
私は、いつでもその人を探していてその人を想像してその人を待ってその人たちと生きている。私はとんでもなく孤独な気もするしまったく孤独でないような気もするけれどおそらくこの感覚は、世のすべての人たちが持っているのではないかと私はひそかに予想している。ただ、全員の語彙も脳みそもアプローチも遺伝子も違うから微細な揺らがあるのかもしれない。
発光というのは、言葉通り光を発するということだ。
出会うべき人と出会うためには発光が必要だというのが、私が提唱している「発光論」である。
私がお笑いをしている理由の一つがこの「発光論」に拠っている。
やっぱり何かを発信しないと発光には気づいてもらえなくて、逆に言うとこちらも気づくことができない。
例えば、芸能人と言われる人たちで考えると分かりやすい。私たちは彼らの光にとっくの昔に気が付いてるけど、彼らはまだ私たちの光に気が付いていない。それは当たり前で、彼らが見えるところで・強さで、私たちが発光していないからだ。
でも別に、これは本当に自然というか事実というか、リアルでしかなくって、実際のところは彼らと私たちの間には全く一切、隔たりも区別もない。対等なただの一人と一人だ。発光することは自由。
ステージに立っているスターの発光に吸い寄せられて集まる大勢の人がいても、その大勢の中の一人が突然拡声器ですごいことを言い始めたら、発光。
ぎょっとした顔で大勢が振り向いて、見るだろう。ステージの上に立っているスターも。
「ファン」もいつだって発光し始めれるけど、その時間はステージを眺めることを選択しているだけだ。そこに本当は垣根は存在しない。テレビは、「芸能人」を電気信号にして私たちの目に光を届けるが、茶の間の私たちは彼らの目に入らない。それは、家電の特性なだけ。リアルなだけ。
♢
孤独にたゆたっているのを良しとせず、探しているなら、あきらめずに発光するしかない。もちろん、例えばそもそも探していないとか、そんなに大人数と見つけ合わなくてもいい人もいるだろう。はたまた病的にどん欲な人もいるだろう。私は後者である。
運が良ければ、小さな発光でも見つけ合うことができるかもしれない。隣の席の人が、あなたの小声のユーモアを聞き逃さなくて、あなたの発光を認めるかもしれない。あなたはそれで満足して、孤独を安らがせることに成功するかもしれない。これは、「距離」的な問題において運が良いと言えるだろう。ただしそれでは非常に不確実なので、安定して探すには、徐々に光を強くしていくしかないのだ。
(蛇足だが、ここにおいて画期的なのがSNSの登場である。このプラットフォームで私たちは、2メートル弱の体では到底目視してもらえなかったくらい遠くの人ともコミュニケーションをとることができるようになり(比喩ではない)、距離や肉体的な問題からは解放され、強い光で発光しさえすれば観測されることが可能になった。そしてその場にいる人口が多いため、ローラー作戦で光を感知し合える人を高速で探すことができるのだ。
ここだけの話、私は匿名アカウントでいわゆるネタツイをこっそりすることもあるのだが、普段周りの人に意味不明と言われるような感覚的なものでも、やはりSNSだと強く共鳴する人も存在する。これはひとえに人口の問題である。)
光ってないとその人たちは見つけてくれないし、逆に言うとその人たちを見つけることができない。それは、面白さかもしれないし賢さかもしれないし、おしゃれさかもしれないし顔かもしれないし、背高のっぽすぎる!とか、ダンスが上手すぎる!とかかもしれない。
♢
私は本当に周りの人たちに恵まれているけれど、やっぱりそれでもまだ探してしまう、孤独だと思ってしまう。
時々、ありえないくらい発光している人がいる。私の発光に気が付いて、「発光していますね」ということを長い言葉を使って言いに来てくれる人が現れる。
♢
それはそうと、発光の先にリアクションがあるとは限らない。それはまた別の話だ。例えば、発光し合っているのを目の端で感知しているものの、会話や交際が起きないということも往々にして考えられる。(つまり発光が届いてるのかを確認する確実な方法は存在していないのだ。)
これは、発光のとてつもなく素晴らしい点であるともいえる。
発信先が存在しなくとも、当人が光源で、その光を場合によっては周りが「目撃」するという回りくどい関わり方が可能になるのだ!
私はある意味においては異様な人見知りで、特に(絶望は漂っていないんだけど)男の子とは最近まであんま喋れなかったから、発光を通してのみのコミュニケーションをとっていた。お友達にはなれなかったしユーモアを個人に渡すことはできなかったけど、「全体」に向けて発光することによってそれらの人と光の受け渡しをすることが可能だったのだ。
噂話で、私の発光があったことを、知る。「おもしろすぎるって言ってたよ」「仲良くなりたいって言ってたよ」
本当は私も、時々あなたが暗くて詩みたいな独り言を言っていることを知っている。
たまたまあなたがクラスの友達に言っているのを、聞く。「りんちゃん天才だろ」「この前○○って言っててめちゃくちゃ面白かった」
だけど私は、なぜか話すことができない。光が届いたならあなたはもう孤独ではないなあ、と思う。
発光
私は自分の発光に本当に敏感で多分異常なくらい小さい時からその光の存在を観測して「信じて」光りすぎている自分にくらくらしながら生活してきた。ほんの小さな発光も見逃さないように、至近距離で自分を24時間観察してきた。季節が変わったらどう感じるのか、何で笑うのか、悲しむのか、何を許さなくて何を食べて、全部が本当のことで、ごまかせなくて、異様に光っている!!!!!
だから本当は別に孤独ではない、もしくは永遠に孤独だ。
だけど気が狂いそうなほど一人ぽっちの(自分の脳と二つぽっちの)孤独で長くて恐ろしい生の中でほんの時々、見慣れない発光のスパークを目の片隅に見留めて、他者の存在にようやく気が付いて、それでさらに時々そのなかの誰かと少しだけ分かる気がして、そっと目を合わせて、「あ、どうも。ね。なかなかあれですよねお互い。いや、ご挨拶できてよかったです。では…」くらい微かなコミュニケーションをとる。それでまた一人でぼんやり生きるのに戻る。
あなたと、それをやる。
見つけ合わないといけない。ステージに立つのは、効率がいいからだ。ずっと人探しをしている。
まだ満足できない、理解されない、救えてない………?
♢
急き立てられるように発光している人がいる。
東京に行って発光している人がいる。
ユーチューブにネタ動画をあげて、ライブにエントリーして、ツイートをして発光している人がいる。
予選通過してインプレッションが増える。ツイートにいいねが付く。DMでライブに誘われる。ネタ動画が再生されてコメントが付く。私はあなたを知らないけど、あなたが打ったコメントが私の発光をほめる。私は、私の発光に気が付いた匿名のあなたの感性に発光を見つける。
北海道ありがとう。私は北海道が嫌いなわけではないよ。北海道には人口が少ないだけ。だから本州に届くくらい強い力で発光するしかない!
発光というのはステージだけで行われるものではない。ずっと発光している。道端で、教室で、一人っきりの部屋で、あなたは発光している。あなたはあきらめていないから。友達に面白い冗談を言ったり、カラオケを盛り上げたり、居酒屋でグッとくることを言って発光している。
やがてもしかしたらあなたは、家族の中で発光する。友人の中で発光する。会社で発光する。
これはおしゃれ発言ではなくて、本当にスターは日常にもいる。就職しても、入院しても、戦争が起きても、結婚しても、あなたはずっと発光を続ける。例えば芸人にならなくてもね。面白いあなたは死ぬまで面白いことから逃げられない、発光してしまう。私はこのまま一人で発光を続ける。
その会場で観客で発光することが良いと思える暖かい袋小路を見つけられたなら、本当におめでとう!
頭おかしかったら教えてください。
キャスト
りんちゃん
平山ボイルドビーンズ
| チケット料金 | 無料カンパ制 |
|---|---|
| 公演日程 | 1月16日 開場18:30 開演19:00 |
| チケットの取り扱い | https://tiget.net/events/440792 |
| お問い合わせ | XのDMにてお問い合わせを受け付けております。
@abuuuuuuuu_rin @abuabu_hirahira |




